2014年6月18日水曜日

中国の市場経済化

軍部・政治エリートを背後にもつ権威主義的な経済官僚テクノクラート主導の開発戦略を、民主主義や人権を軽んじた「開発独裁」といったマイナスーイメージの濃厚な用語法でくるみ上げるのは正当ではない。アジア諸国がおかれた歴史的条件下で、なお急速な工業化を図らねばならなかった以上、他にいかなる選択肢がありえたというのであろうか。

リー・クアンユーは、日本における最近のスピーチにおいて、「民主主義と人権は、たしかに価値ある理想であるが、真の目標は『よい政府』にあることを明白にしておかなければならない。……すなわち、清廉で公正な政府、能率的な政府、人民の面倒をよくみる政府であるかどうか。国民が生産的な生活を送れるように、よく教育され、訓練された秩序と安定性のある社会であるのかどうか。それが基準たるべきなのです」(『諸君』一九九三年九月号)と語った。

東アジアの文脈において、今日の経済発展のありようを眺めるならば、この発言は実にまっとうな常識を素直にいいあらわしたものだ、というべきであろう。東アジアの経済発展を論じるに際して、おそらく最大のテーマは、あの巨大な社会主義中国が新たに「市場経済化」への道を選択し、それが奏功して超高成長の過程に入っているという事実であろう。

中国の市場経済化は、農業の改革にはじまり、その成功が郷鎮企業を群生させた。郷鎮企業は、農村経済を大きく活性化させるとともに、中国工業化における一大勢力となった。これに個人・私営企業、さらには外資系企業が加わって、国営部門は、しだいに中国経済に占めるそのプレゼンスを縮小しつつある。

長らく中国の社会主義計画経済の中枢に位置してきた国営企業の力が弱まり、計画経済の枠外に生まれた多様な経済主体が中国の市場経済化をうながし、中国経済の成長を牽引する主勢力となってきたのである(中国の国営企業は一九九三年三月の憲法改正により国有企業と呼ばれるようになった。「所有と経営の分離」への意向がここに反映されている。