2013年12月25日水曜日

アメリカの大学の多くは私立大学

それが第二の、大学がカレッジなりユニバーシティという名称を用いて、学位を出すことが認可される段階であって、これは多くライセンシュアーと呼ばれる。つまり大学はここに至って、初めて名実ともに大学の名に値する高等教育機関として、政府から公的に認められるのである。この場合の条件はその大学が①大学基準協会などの基準認定に合格しているか、②州政府の設定した基準を満だしているかのいずれかである。

なぜアメリカでは大学の評価とかランキングが盛んに行なわれるのだろうか。大学評価の専門家は次のような理由を挙げている。まず第一に、今世紀初頭のアメリカの大学はヨーロッパの大学よりもけるかに白由企業的で厳しい競争社会の中に存在しており、アメリカ社会は″ザーベスト″″ザービッゲスト”を重視する異常なまでの競争の傾向があった。国公立の大学が支配的で、政府が一定の財源を保証しているヨーロッパの大学に比べて、アメリカの大学経営者は自分の大学が他大学より秀でていることをより強く欲した。

アメリカの大学の多くは私立大学であったから、学生や財源をひきつけるためには常に大学として優れていること、少なくとも他大学よりは良い大学と思われることを必要とした。そのために大学ランキングはこのような競争の勝者と敗者とを見分けるに有益な手段であった。また、今世紀の初めにヨーロッパはごく僅かな数の大学(仏一五、英一二、独二二校)しかなかったが、アメリカには六四七校もの多数のカレッジがあった。そのうえヨーロッパの大学では一般にアメリカほど質がまちまちではなかったから、どの大学が良いか悪いかを知る必要性がほとんどなかった。

アメリカの大学は数が多く質もまちまちなぽかりではなく、各大学の類型やカリキュラムもきわめて多彩で統一されておらず混沌とした状態であったから、なんらかの評価尺度が必要とされた。さらにヨーロでハ諸国はアメリカに比べて地理的に狭いので、大学のランキングの公表という手段をとらなくても大学の質を捕えやすかったこと、ドイツのようにほとんどの学問分野で全国的な資格試験制度が発達していたので、個別の大学の質をはかることはそれほど必要がなかったこと、ヨーロッパの大学の質的格差は相対的に小さく、大学から大学へと学生が移動できたので、個々の大学の格差を評価することは必要とされなかったこと、などがその理由である。

アメリカという社会は、評価するものは必ず評価される、つまり相互に評価をし合うという、チェックーアンドーバランスの関係が貫かれている。日本の大学では教授は学生を成績によって評価するが、学生が教授を評価するということは、制度的にはほとんど行なわれていない。日本では、教授は学生に対して教えるとともに評価するという二重の権限を行使する絶対者であり、学生が教授の評価に不満を表明したり、教授の授業を評価したりという機会は、アメリカの大学に比してほとんど認められていない。