2015年2月5日木曜日

政治に目を向け始めた無党派層

二〇〇〇年十月十九日の衆院議員任期の満了まで、残された時間はあとわずか。いざ解散・総選挙となった場合、有権者の投票行動の中で最も注目されるのは、近年急増が著しい無党派層の動向と、これに関連した投票率のゆくえだ。

全国規模の選挙には、衆院総選挙、参院通常選挙、統一地方選挙の三種類あるが、九一年以来、その全部について二回ずつ選挙が行われ、投票率(パーセント)は次の通りであった(石川真澄『この国の政治』労働旬報社)。

 九一年統一地方選挙  六〇・五
 九二年参院通常選挙  五〇・七
 九三年衆院総選挙   六七・三
 九五年統一地方選挙  五六・二
 九五年参院通常選挙  四四・五
 九六年衆院総選挙   五九・七

九一年から九六年の五年間は、国際・国内政治の激動期。冷戦の終結にともなって、九一年十二月にソ連が崩壊した。この影響はやがて、日本にも波及。自由・民主両党の合同と左右社会党の統一によって始まった、

戦後の日本政治の原型ともいうべき自民・社会両党が対立する構図の「五五年体制」を瓦解に至らしめた。その結果、非自民の八党派が連立する細川政権が九三年八月に発足して、自民党は結党以来初めて野党に転落しか。

細川政権は「政治改革」を実行したが、細川首相自身が佐川急便スキャンダルにまみれて退陣。後継の羽田孜連立政権もわずか二ヵ月で、自民、社会、さきがけ三党連立の村山富市政権と交代した。

旧社会党出身の村山首相は任期中に、自衛隊を「違憲」から「合憲」と認める右旋回の舵を切る離れ業をやってのけた。内外とも波乱に満ち九五年間となった。

本来なら、こうした国際・国内政治の激動期こそ、政治に対する国民の関心が高まってもよさそうなものだが、実際はその逆で、国民の投票行動の指標ともいうべき投票率は、前半の三つの選挙はいずれも史上最低であった。

さらに後半の三つの選挙は、これらの記録を再び塗り替える新しい史上最低の記録だった。この原因は一体、どこにあるのか?