2015年7月4日土曜日

組合批判は昇給ストップへの道

東義二さんは、告訴に踏みきった。彼とおなじように組合への反対を表明し、やはりおなじようにつるしあげをうけていた、四九歳の小宮高樹さんもそれにくわわった。東さんは、鹿児島県の奄美大島出身で、工業高校卒業と同時に入社した。地方の高校から、一流企業にはいれたとはいうものの、職場では労働組合か率先して合理化に協力し、それに批判的な意見を表明した同僚が昇給、昇進の道をとざされるのをみて、しだいに疑問を感じるようになっていた。

一九七七年春、やはり賃闘のとき、賃上げ額が低すぎるとして組合方針に反対した彼は、翌週から夜勤業務からはずされる仕打ちを受けた。自動車労働者にとって、夜勤、昼勤と一週間ごとに繰り返される勤務形態は、睡眠不足と胃腸障害をもたらすものであるとはいえ、それによって辛つじて当たりまえの生活ができるようになっているのである。三万円ほどの減収となって、東さんは職制にたいして、夜勤の継続を要請した。「組合に反対すれば、夜勤がとり消されるのはあたりまえだ」職制は平然と答えた。

日産ばかりではなく、トヨタ自工でもそうなのだが、組合に反対すれば職制に怒られ、会社を批判すれば組合役員に怒られる、という状態が日常化している。つまり、自動車工場では、職制と組合役員は同一人格なのである。怒られるばかりでなく、昇進に影響し、昇給と一時金の査定にたちどころにはね返る。このシステムによって、職場では物言えぬ情況が蔓延する。

しかし、トヨタでは、わたしの知っているかぎりでは、リンチ事件は発生していない。かつて、トヨタ系の日野自工で、会社批判のビラをまいた労働者かリンチを受け、解雇された例(藤川事件)があるが、トヨタ本社には、労働者は完全に制圧した、とする自信があるようである。トヨタには、職業病闘争をすすめている少数派が存在しているが、リンチ事件は発生していない。そこに、豊田自動織機の子会社として農村部に立地し、余剰労働力としての二、三男を吸収して成長してきたトヨタの歴史と、プリンス自動車などを併合して膨張してきた金融資本としての日産コンツェルンとの体質のちがいがあるようにわたしには思える。

いわば純血種のトヨタの自信と、都会にあって雑多な労働者を統合しなければならない日産の不安との差でもあるようなのだ。日産での暴力行為は、六六年八月の日産のプリンス自工の吸収合併のあと労組を完全に統合することに失敗し、反対派としての全金プリンス支部の独立を許してしまって以来の、伝統ともいうべきものである。このとき、全金プリンスの拠点となった村山工場では、川口工場とまったくおなじような集団つるしあげが続発していた。