2012年5月16日水曜日

フリーターは自分をすり減らしていきます。

集められたもの同士もお互いに知り合おうとしないのですから。フリー労働者の中でも最も不安定なタイプはこういう労働で、自分をすり減らしていきます。

このルポのラストは、次のように結ばれています。

「もし、大多数の”働く人たち”がそんな風に明日の仕事や来週の仕事、そして来月や来年の仕事を探し、働くようになったら・・・と取材の過程で僕は何度も考えた。そうした労働構造の中では自ずと人と人との繋がりは断ち切られていくに違いない。

そして、一方では”自己責任”や”技術・技能”といった言葉がもてはやされながら、多くの人たちが効率化のために人知れず切り捨てられていくことになるだろう」と。

日経連の新時代の日本的経営ごを検討しましたが、企業は働く人たちをタイプ分けして、その会社で長期に働く少数の社員と、多くの臨時労働者に二極分化しようとしています。その一つの極がここに示されているわけです。

「顔のない仕事」の実態

フリーター時代は寂しくしくつらい日々だった。何しろ、仕事を待つあいだだけ他の手足を入れることができない。作業内容、集合場所、作業現場の全容が前日にならないとわからない。残業にいたっては行ってみないと判断できないのも、息苦しい理由のひとつだった。

こうして稲泉さんが手に入れた仕事は、夕方から23時30分まで、お台場のオフィスビルで会議室や研修室の配置替えをすることでした。20代と見られる男性6人が集められますが、皆初対面で、お互いに名前も知らない。

クライアント会社員の指示で、椅子や机を運んで、片付けたり並べたり、黙々と身体を動かす。技術を必要としない簡単な仕事だし、職場の人間関係に気を使う必要もない、ある意味で「気楽な仕事」です。

けれども、そこでは職場の仲間も生まれません。一日の仕事が終わったあとの描写が象徴的です。「荷物を置いた部屋へ戻ると、全員が黙ったまま、携帯電話を取り出してガチャガチャやり始めた」。

リーダーが「お疲れ様でした」と声をかけて、そのまま流れ解散になって、「他のスタッフと帰り道が一緒になるのをさけ、みな溶けるように散らばって駅へと向かっていった」。

一日の仕事をした同世代同士でも何も話さないし、むしろ一緒になるのを避けて帰る、というさびしい姿が浮かんできます。 稲泉さんはこれを「顔のない仕事」と呼んだわけです。「いつでも好きな時に仕事ができる」「即決」などのうたい文句の裏側には、こういった実態がある。