2013年8月28日水曜日

沖縄の空気を堪能してもらうためには

修学旅行を否定するつもりはないが、観光客の消費単価を上げるには、団体客よりも個人客を増やす環境づくりしかない。たとえば、本部町に彼らが何度でも行きたいと思わせるような店でもあれば、個人客なら必ず立ち寄ってくれるはずである。では、個人リピーターはどういうところならやってくるのだろうか。それぞれ好みがあるから何とも言えないが、少なくとも、テーマパークでは彼らを呼び込めない。何とか美術館、何とか博物館、何とか記念館といったハコモノのモニュメントなど、中身がよほど充実していないかぎり、一度見たらうんざりだ。個人的な感想を言えば、彼らは非日常的空間としての沖縄らしい空気に浸りたいのだと思う。

たとえば、京都の町並みは、いまや見るも無惨に破壊されたが、それでもリピーターがいるのは、ピンポイントで京都らしい空気、あるいは歴史を感じさせてくれる空間があるからだろう。もっとも、最近は外国人観光客の京都離れが激しいのは、ピンポイントでごまかせないところまできているからかもしれない。ちなみに私は、沖縄で時間があると、壷屋から開南にかけてのスジグア(路地)や栄町市場あたりを徘徊し、マチャグァー(雑貨店)を見つけては、冷やかし半分にのぞき、ときにはオバアと話し込むことがよくあった。もっとも最近はマチャグアーもなくなったが。

観光客の「単価を上げる」ことに関して、沖縄の行政も考えていないわけではない。「観光客一〇〇〇万人誘致」と並んで仲井員弘多知事が公約に掲げた「カジノ誘致」がそれだ。これには一応の理由がある。ある県庁の幹部が「沖縄は雨が降るとすることがない。夜になるとどこにいくのか。観光客が困るのは沖縄にエンターテインメントの施設がないからだ」と言った。たとえば、観光客に人気のある恩納村あたりだと、夜外出しても、土産物屋に毛の生えた程度の飲食店があるだけで、遊ぶところがない。だから「カジノがあってもいいじゃないか」という発想が生まれるのだろう。もちろんカジノをつくるには法改正が必要で、沖縄はそれをにらんで着々と準備しているという。問題は誰をターゲットにしているかだ。どうも沖縄県が想定しているのはアジアの富裕層のようだ。

東アジア最大のカジノスポットといえばマカオだが、数年前にラスベガス方式のカジノを導入してから、売上げでは本場のラスベガスを抜き、観光客もうなぎ登りだという。しかし、そもそも沖縄の観光客の中に、アジア圏の人間は数%しかない。正確には二〇〇七年度に訪れた観光客五八七万人のうちのわずか三%弱の一七万人にすぎない。それも台湾からのクルーズ船運行再開で増えた結果だ。実際、外国人観光客といっても、そのほとんどが距離的に近い台湾と香港からの観光客で、彼らにとってカジノはどれほど魅力的に映るのだろうか。アジアではマカオ以外に、シンガポールもカジノを合法化して大型カジノリゾートが建設されている。さらにベトナムもフィリピンも、マカオにつづけとばかりに大型カジノ計画に名乗りをあげた。

『タイムス』でギャンブルがアジアに深刻な問題をもたらすと警鐘を鳴らすほど、アジアはカジノーブームに躍っている。沖縄が、今さら東アジアのカジノ競争に参加して、どれほど潤うのだろうか。私にはむしろ、デメリットのほうが大きいように思えてならない。たとえば、最大の問題がカジノ依存症だ。実際、すでにマカオでは、カジノ近辺に住む住人の間でギャンブル中毒が問題になっている。中国人は白人よりもギャンブル中毒になりやすいといったレポートもあるほどで、果たして、沖縄県民だけはそうならないと言い切れるだろうか。マカオの二の舞になりかねないことは、すでにパチンコが物語っている。

国道五八号線を走ると、昔のようなイルミネJンヨンはないが、沖縄には不自然なほど豪華な建物を目にする。すべてパチンコ店だ。県内で一〇〇店舗弱ほどあり、数ではそれほど多くないが、人口比では全国一である。地元の新聞によれば、パチンコ(パチスロ)依存の悩みに関する相談件数も全国でトップなのだそうだ。これはパチンコ店の多さと同時に、県民一人当たりのサラ金店舗やATM(現金自動預払い機)の数が全国で最も多いことと関係している。パチンコをしたいがためにサラ金から金を借り、最後は自己破産か自殺、もしくは強盗というケースが頻発しているという。これを自己責任でひと括りにしてしまうのはどうかと思う。犯罪や自殺の種を蒔いたのは行政や政治ではないだろうか。