2014年8月7日木曜日

患者には常に生きる望みを残してあげるべきである

年がら年中忙しいことを見せっけていては、患者は話しかけたくとも遠慮して躊躇してしまうかもしれないからである。「あの先生は忙しくても、ちょっとした間でも患者のいうことに耳を傾けようとして下さる」と患者に思われるだけでも、素晴らしいことだと思う。といっても、医師が多忙な仕事のちょっとした合間にでも告知をするべきだといっているのではない。

告知の際にはヽ誰が、いつ、どこで、何についてどこまで、どのように、告知するか、そして告知後の患者の精神的支援をどうするか、などの心遣いが必要であるが、いずれも大変慎重に検討すべき事柄である。これらについて、できることなら、病院内の患者症例検討会などで検討してから、実行に移すくらいの慎重さがあって欲しいものである。次に、告知に際して、とくに念頭に置く必要があると思われる重要な点について述べてみたい。

第一に、患者が詳しい自分の病状や不治の病についての告知を希望するかどうか、事前に本人の意思を知る努力が必要であろう。告知をする段階に入ってから患者本人に聞くことは、予後のよくない告知をするのではないかと患者に勘繰られるので、間接的な告知をすることに等しい。それゆえ、一案として、新患受付ですべての患者に機械的にアンケート用紙を渡して、たとえば「あなたは、病気の重い軽いにかかわらず、病状や病名を告知して欲しいですか」

「もし、条件付きの告知を希望される場合には、希望条件を記載して下さい」、「癌などで余命の短い場合には、告知して欲しいですか、聞かせないで欲しいですか」、「今のご意見を書いて下さい。もし、将来、意見や希望が変わってきた場合には、新しいアンケート用紙に記入し直して《差し替え》を申し出て、前回のご意見を自由に撤回し、変更して下さい」などの質問用紙に患者の意見と希望を記入して提出しておいてもらう方法を提案しておきたい。

もし、前述の「掛かりつけの医師」制度が実施されるようになれば、「掛かりつけの医師」が自分の担当家族の人々が元気なうちにこのような意見調査をしておき、意見が変わる度に、自由に《差し替え》をしてもらうようにしておくこともできる。第二に、医師であろうと家族であろうと、どのような人にも「他人に生きる望みを失わせるような表現で告げる資格も権利もない」と、私は固く信じてやまないものである。患者には常に生きる望みを残してあげるべきであり、そのために言い方や言うタイミングなどを工夫する努力を医師はするべきであろう。