2015年4月4日土曜日

世代的な団結を強めることの重要性

「体制」と呼ぶべきもので、最も身近な存在は職場である。現代の民主法治国家における革命は、通常、暴力革命ではない。物理的な力を使わずに、既存の制度や組織ルールの中で合法的に実効的な権力を握り、その権力を使って、その制度やルール自体を変えていくゲームである。これは皆さんが日々働いている職場において、何らかの改革、改善を行う場合も同様だ。「正しい」改革案を提示すればそれが通るほど世の中は単純ではないし、甘くもない。正しい答えを導き出す「知性」や「発想力」とともに、それをどうやって実現するかに関わる利害調整力、多数派工作力、権力闘争力が必要になる。この構図は、どんなに上のレペル、大きいレベルの改革においても同様。

むしろレベルが上にいくほど、改革の幅が大きくなって「革命」の域に近づくほど、正しい答えを出す難度よりも、それを実現する政治的な難度のほうが高くなる。だから、まずは身近なところから練習を始めよう。ちなみに「若いぺエぺエの立場で何かできるのか?」と言う人がいるかもしれないが、さにあらず。肩書の軽さを逆利用して、自由に組織内を動き回って改革を推進するゲームプランもありうるし、上司にうまく取り入って「側用人」として虎の威で組織を動かす手もある。もちろん、しばし出世第一で自分か一日でも早く制度上の権力を握ることを考えるのもいいだろう。その気になれば、「ぺエぺエ」の立場で現実「革命」を画策する手はたくさんあるのだ。あれこれやっているうちに、いつの間にか「革命力」がついてくる。

当たり前の話だが、国家的レベルでの運動論になるためには、三〇代以下の世代が、世代的な団結力を強めなくてはならない。いつの時代も神は人間を平等にはつくらない。才能の差異、運不運など、いろいろな理由で、同じ世代でも格差はあるし、相互怨嵯はある。しかしここは大同について、小異はひとまず脇に置こう。本書で議論してきた通り、君たちの世代は、ここ数十年では稀に見る世代としての利害を共有する世代的「階級」なのだ。そのことを同じ世代の中で、もっと語り合い、問題意識を持ってほしい。友人同士、恋人同士、家族同士、職場の仲間同士いろいろな次元でこうしたコミュニケーションを重ねることが、やがて大きな力を持ってくる。