2014年5月22日木曜日

総量規制の評価

特に八〇年代後半は政治主導を鮮明にした中曾根内閣の時代であった。国鉄民営化など、政治的英断が発揮されたのはこの時代である。バブルつぶしの時期は海部内閣の時代であるが、当時、与党は小沢幹事長、内閣は橋本蔵相の強いリーダーシップでむしろ従来以上に政治主導の色濃かった時期と言えるように思う。

わが国の政策運営は今後さらに政治主導の政策決定という方向が強まるであろうが、こうした問題について、政治主導が適切な方向に働くかどうかは必ずしも明確ではない。アメリカのグリーンスパン連銀総裁のような中立的で経験を積んだテクノクラートの役割に依存することの多い領域という考え方もあるだろう。

バブルがピークに達し、わが国経済が世界でもてはやされていた頃、マイホームの夢を奪われた国民は、上地を持つ者と持たざる者の不公平を批判し、その声は政治に敏感に反映した。国会や与党の会合では、地価抑制のための一層強力な税制上、金融上の措置を求める声が相次いでいた。各方面からずいぷんと尻を叩かれて、九〇年三月の不動産融資総量規制の導入、九二年一月からの地価税の導入が実現する。今でこそこれらの措置は余り評判が良くないが、当時の評価はそう悪いものではなかった。

世間の印象とは違うかもしれないが、近年における金融行政は、個別部門への資金配分にまで行政が介入することについては消極的である。特に当時は金融界の意気も高く、金融自由化・国際化のムードが高まっていた頃であった。当時はまだ大蔵省の権威は残っていたが、銀行の行動を強権的に規制する措置が素直に受け入れられる雰囲気ではなかった。そのため、先にもふれたように、土地融資についてはすでに八六年から、強権的行政介入を避けつつ、投機的な土地取引につながるような融資の自粛を求める通達を数次にわたり出している。しかしその効き目はあまりなかった。