2012年8月23日木曜日

北朝鮮を南北対話に向かわせる共通要素

 ①一九七二年の初の南北対話では「南北共同宣言」で合意した。
 ②一九八五年の南北対話では、離散家族の再会が実現した。
 ③一九九〇年には南北首相会談が行われ、「南北基本合意書」に署名した。

この三回の南北対話に共通するセオリーは、中ソとの関係が悪化したり、国際的孤立に追い込まれると、その打開策として対話に応じていることである。一九七二年の場合には、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問した。これは、向盟国中国の裏切りであった。それまでは、中国は北朝鮮と共に「米帝国主義」を「敵」として激しく非難していた。ソ連はすでにアメリカとの「平和共存」を推進しており、北朝鮮としては直ちにソ連に傾斜するわけにもいかなかった。この結果、南北対話に応じたのである。

一九八五年の南北対話は、孤立からの脱出を狙ったものであった。当時北朝鮮は、一九八三年にビルマ訪問中の全斗煥大統領の暗殺を狙ったラングーン爆弾テロ事件を起こし、国際社会から制裁を受けていた。特に中国の怒りは激しく、中朝関係は最悪の状態に陥ったのである。こうした事態を打開するために、南北対話に応じたのだった。韓国が対話に応じれば、国際社会の態度も変化せざるをえないからだ。

一九九〇年の南北首相会談の際は、東欧社会主義国が崩壊しソ連が韓国との国交正常化に踏み切り、北朝鮮にも崩壊の波が押し寄せるのではないかと憂慮された。また、中国は韓国との関係改善を進め、韓国企業が中国に進出するようになっていた。この結果、中朝関係もしだいに悪化していた。中国が韓国との国交正常化に踏み切るのは、時間の問題と思われた。

こうしてみると、北朝鮮を南北対話に向かわせる共通要素は、中国との関係悪化である。それでは、二〇〇〇年六月の南北首脳会談の前に中朝関係は悪化していたのか。実は、当時の中朝関係は最悪の状態にあった。金正日総書記が中国の指導者に「中朝関係を普通の国の関係にするつもりか」と問い合わせのメッセージを送るほどに、冷えていた。

何があったのか。大物工作員の亡命事件と、幹部級の工作員が多数逮捕される事件が起きていたのだった。