2012年8月23日木曜日

なぜ南北対話が実現したか

金大中大統領と金正日総書記との首脳会談が実現したといっても、南北統一がすぐにも実現するわけではない。金大中大統領も言及しているように、統一にはなお二〇年から三〇年の時間が必要である。

金大中大統領は一九九八年の就任以来、南北首脳会談を何度となく呼びかけてきた。北朝鮮は、この呼びかけに応じないばかりか、金大中大統領の「太陽政策」を激しく非難してきた。労働党の機関紙・労働新聞は、「傀儡執権者がわめく『対北政策』とは、すなわち『対北包容政策』であり、これがわが方(北朝鮮)を改革・開放へ誘導してどうにかしようという校猪な手法だということは周知の事実だ」(一九九九年一二月二八日)と、激しく非難した。北朝鮮は、二〇〇〇年の国連総会で韓国の外相が南北首脳会談の実現を「太陽政策の成果」と演説したことを激しく非難した。

これは、北朝鮮が太陽政策を北朝鮮を崩壊させる政策であると理解しており、太陽政策に応じて南北首脳会談が実現したわけではない、と主張していることになる。あくまでも、金正日総書記の指導と決断で南北首脳会談が実現したという立場である。そうしてみると、南北朝鮮の指導者が首脳会談を実現した理由と動機は、まったく異なることになる。

太陽政策とは何であったのか。金大中大統領は就任演説で次の方針を明らかにした。

●北朝鮮のいかなる武力挑発も容赦はしない。
●北朝鮮を崩壊させたり吸収統一するようなことはしない。
●南北間の和解と協力を可能な分野から積極的に推進していく。
この基本方針に加え、以下の新たな政策も次々に打ち出した。
①民間の交流と協力は原則として自由にする。許可制から届け出制に。
②政府間交渉は相互主義に。韓国は一方的に譲歩しない。
③南北基本合意書(一九九一年)の復活。
④南北経済共同体提案(二〇〇〇年一月)。
⑤ベルリン宣言(二〇〇〇年三月)。

この八つの政策をまとめて「太陽政策」と呼ばれた。ただ、南北首脳会談の合意では「相互主義」と「南北基本合意書復活」の政策は排除された。結局は、韓国が多くを譲歩し北朝鮮はほとんど譲歩していないというのが、偽らざる現実である。

首脳会談の実現が、太陽政策の成果でないとするなら、どうして実現にこぎつけたのか。その謎を解くカギはこれまで述べてきた「南北対話のセオリー」である。南北対話は、過去に三回実現している。