第九条は、侵略戦争が自衛や制裁の名のもとに行われてきたという歴史的反省に立って、あらゆる正当化を排除する原理を宣言した条文だったとも言える。そこから派生してきた概念が、個別的自衛権の限定であり、集団的自衛権の不行使、武力行使の否定という諸制限だった。第二期の軍拡時代に、その制限は次第に緩和される方向にむかったが、冷戦後の第三期において、その流れをさらに緩和する必然性はまったくないだろう。それと同時に、憲法前文、第九条の趣旨に照らせば、軍縮を指向する姿勢こそが、戦後の日本の出発点であり、使命であったことを忘れてはならないだろう。これでは「普通の国」と言えるだろうか、という疑問は出てくるかもしれない。確かに、軍事力を自明の権利として主張しない点では「普通」とは言えないだろう。
だがそのことが、独立国の尊厳を否定するわけではもちろんない。軍事大国の可能性を絶って、新たな平和理念を確立することを、使命として一度は引き受けた国が、冷戦後の不安定な情勢でどう初心を貫いて生きていくのか。憲法第九条をめぐる議論で、一点だけ醒めた目で見続けなくてはいけないのは、そこにしかないように思われる。しかし、過去において、この三原則には序列があったと思われる。それは、まず米国を中心とする「自由主義諸国との協調」が優先され、それに反しなければ「国連」の動向に従い、最後にこれらの原則と両立することを前提に「アジアの一員」としての立場を堅持する、という順位だ。これは例えば、中国の代表権をめぐる国民政府支持の立場を取って表れ、カンボジア内戦を通して日本が取った政策にも通じている。
2015年9月4日金曜日
2015年8月5日水曜日
アリの通貨とキリギリスの通貨に分裂する
ユーロ現状維持のもう一つの条件は、各国の政府が持っている権限のかなりの部分をEUが奪うことだ。今のように中央の持つ権力が中途半端のままでは、ヨーロッパ全体をまとめていくことは困難である。ユーロが今後長い期間にわたって基軸通貨として世界中からの信任を集めていくためには、全体を統括する中央集権的政府があって、それがその通貨を支える仕組みになっていくことが必要となる。一言でいうと「EUがアメリカ合衆国のようになる」ということだ。
しかしこれには各国の抵抗が大きい。特にドイツやフランスのような国が、そうやすやすと広範な分野(財政、外交、法律など)で自国の権力を手放すとは思えない。それに、それは今までヨーロッパ各国が長年守ってきた歴史、文化、宗教などの伝統を失うことにつながる行為でもある。「真の意味でのヨーロッパ統一」というのは言うは易く行うは難い、ということの典型だ。そしてこれが、現在の金融危機の遠因でもある。ここのところがクリアできないと、統一通貨ユーロが名実ともに長きにわたって世界の基軸通貨として活躍し続けることはできないと思われる。
次に、統一通貨を維持することができず、ユーロが二つに分裂する、という可能性が考えられる。ドイツを中心とする比較的健全な国々と、ギリシャなどの弱い周辺国とで別々の通貨を使うようになる、ということである。これには二つの方向性が考えられる。一つは、ドイツを中心とする「アリ」の国々が「強者連合」を作るということだ。ドイツやそれに準ずる強国が「もう弱い国を助けるのはまっぴらだ」あるいは「インフレとなるリスクの芽を摘もう」ということで、新しい通貨(例えば新ドイツーマルク)を発行する。すると、そこに入れなかった国は対抗して「弱者連合」の通貨(例えば新ユーロ)を作るというシナリオだ。
もう一つは、それとは逆方向の動きで、ギリシャやスペインなどの国々がまずユーロから離脱する。理由としては、ユーロの使用に厳しい基準(財政赤字の制限など)が設定されてそれに合致できない、といったことが考えられる。そしてそれらの国々が一緒になって新しい通貨(例えば新ユーロ)を作る。一方で、ドイツを中心にするグループが現在のユーロを継続する、ということだ。いずれの場合も、強者連合(アリ)の通貨は安定性を持つものになるであろうが、弱者連合(キリギリス)の通貨は外国為替市場でかなり安く評価されるようになる可能性が強い。
キリギリスにとっては今までせっかくドイツと同じグループに入って信用力が増したのに、それを失うことは損失という面もあるが、「通貨が安くなるので輸出に有利になる」というプラス面も生まれる。私はこのシナリオがベストだと思う。きれいに「アリの通貨」「キリギリスの通貨」というふうに分かれるかどうかは別にして、アリとキリギリスが異なる通貨を使うようにすることは、中長期的に見た場合に必要なことだろう。逆に言うと、彼らが同じ通貨を使っていくと、いずれ今回のような問題が再発する恐れが高いということだ。
しかしこれには各国の抵抗が大きい。特にドイツやフランスのような国が、そうやすやすと広範な分野(財政、外交、法律など)で自国の権力を手放すとは思えない。それに、それは今までヨーロッパ各国が長年守ってきた歴史、文化、宗教などの伝統を失うことにつながる行為でもある。「真の意味でのヨーロッパ統一」というのは言うは易く行うは難い、ということの典型だ。そしてこれが、現在の金融危機の遠因でもある。ここのところがクリアできないと、統一通貨ユーロが名実ともに長きにわたって世界の基軸通貨として活躍し続けることはできないと思われる。
次に、統一通貨を維持することができず、ユーロが二つに分裂する、という可能性が考えられる。ドイツを中心とする比較的健全な国々と、ギリシャなどの弱い周辺国とで別々の通貨を使うようになる、ということである。これには二つの方向性が考えられる。一つは、ドイツを中心とする「アリ」の国々が「強者連合」を作るということだ。ドイツやそれに準ずる強国が「もう弱い国を助けるのはまっぴらだ」あるいは「インフレとなるリスクの芽を摘もう」ということで、新しい通貨(例えば新ドイツーマルク)を発行する。すると、そこに入れなかった国は対抗して「弱者連合」の通貨(例えば新ユーロ)を作るというシナリオだ。
もう一つは、それとは逆方向の動きで、ギリシャやスペインなどの国々がまずユーロから離脱する。理由としては、ユーロの使用に厳しい基準(財政赤字の制限など)が設定されてそれに合致できない、といったことが考えられる。そしてそれらの国々が一緒になって新しい通貨(例えば新ユーロ)を作る。一方で、ドイツを中心にするグループが現在のユーロを継続する、ということだ。いずれの場合も、強者連合(アリ)の通貨は安定性を持つものになるであろうが、弱者連合(キリギリス)の通貨は外国為替市場でかなり安く評価されるようになる可能性が強い。
キリギリスにとっては今までせっかくドイツと同じグループに入って信用力が増したのに、それを失うことは損失という面もあるが、「通貨が安くなるので輸出に有利になる」というプラス面も生まれる。私はこのシナリオがベストだと思う。きれいに「アリの通貨」「キリギリスの通貨」というふうに分かれるかどうかは別にして、アリとキリギリスが異なる通貨を使うようにすることは、中長期的に見た場合に必要なことだろう。逆に言うと、彼らが同じ通貨を使っていくと、いずれ今回のような問題が再発する恐れが高いということだ。
2015年7月4日土曜日
組合批判は昇給ストップへの道
東義二さんは、告訴に踏みきった。彼とおなじように組合への反対を表明し、やはりおなじようにつるしあげをうけていた、四九歳の小宮高樹さんもそれにくわわった。東さんは、鹿児島県の奄美大島出身で、工業高校卒業と同時に入社した。地方の高校から、一流企業にはいれたとはいうものの、職場では労働組合か率先して合理化に協力し、それに批判的な意見を表明した同僚が昇給、昇進の道をとざされるのをみて、しだいに疑問を感じるようになっていた。
一九七七年春、やはり賃闘のとき、賃上げ額が低すぎるとして組合方針に反対した彼は、翌週から夜勤業務からはずされる仕打ちを受けた。自動車労働者にとって、夜勤、昼勤と一週間ごとに繰り返される勤務形態は、睡眠不足と胃腸障害をもたらすものであるとはいえ、それによって辛つじて当たりまえの生活ができるようになっているのである。三万円ほどの減収となって、東さんは職制にたいして、夜勤の継続を要請した。「組合に反対すれば、夜勤がとり消されるのはあたりまえだ」職制は平然と答えた。
日産ばかりではなく、トヨタ自工でもそうなのだが、組合に反対すれば職制に怒られ、会社を批判すれば組合役員に怒られる、という状態が日常化している。つまり、自動車工場では、職制と組合役員は同一人格なのである。怒られるばかりでなく、昇進に影響し、昇給と一時金の査定にたちどころにはね返る。このシステムによって、職場では物言えぬ情況が蔓延する。
しかし、トヨタでは、わたしの知っているかぎりでは、リンチ事件は発生していない。かつて、トヨタ系の日野自工で、会社批判のビラをまいた労働者かリンチを受け、解雇された例(藤川事件)があるが、トヨタ本社には、労働者は完全に制圧した、とする自信があるようである。トヨタには、職業病闘争をすすめている少数派が存在しているが、リンチ事件は発生していない。そこに、豊田自動織機の子会社として農村部に立地し、余剰労働力としての二、三男を吸収して成長してきたトヨタの歴史と、プリンス自動車などを併合して膨張してきた金融資本としての日産コンツェルンとの体質のちがいがあるようにわたしには思える。
いわば純血種のトヨタの自信と、都会にあって雑多な労働者を統合しなければならない日産の不安との差でもあるようなのだ。日産での暴力行為は、六六年八月の日産のプリンス自工の吸収合併のあと労組を完全に統合することに失敗し、反対派としての全金プリンス支部の独立を許してしまって以来の、伝統ともいうべきものである。このとき、全金プリンスの拠点となった村山工場では、川口工場とまったくおなじような集団つるしあげが続発していた。
一九七七年春、やはり賃闘のとき、賃上げ額が低すぎるとして組合方針に反対した彼は、翌週から夜勤業務からはずされる仕打ちを受けた。自動車労働者にとって、夜勤、昼勤と一週間ごとに繰り返される勤務形態は、睡眠不足と胃腸障害をもたらすものであるとはいえ、それによって辛つじて当たりまえの生活ができるようになっているのである。三万円ほどの減収となって、東さんは職制にたいして、夜勤の継続を要請した。「組合に反対すれば、夜勤がとり消されるのはあたりまえだ」職制は平然と答えた。
日産ばかりではなく、トヨタ自工でもそうなのだが、組合に反対すれば職制に怒られ、会社を批判すれば組合役員に怒られる、という状態が日常化している。つまり、自動車工場では、職制と組合役員は同一人格なのである。怒られるばかりでなく、昇進に影響し、昇給と一時金の査定にたちどころにはね返る。このシステムによって、職場では物言えぬ情況が蔓延する。
しかし、トヨタでは、わたしの知っているかぎりでは、リンチ事件は発生していない。かつて、トヨタ系の日野自工で、会社批判のビラをまいた労働者かリンチを受け、解雇された例(藤川事件)があるが、トヨタ本社には、労働者は完全に制圧した、とする自信があるようである。トヨタには、職業病闘争をすすめている少数派が存在しているが、リンチ事件は発生していない。そこに、豊田自動織機の子会社として農村部に立地し、余剰労働力としての二、三男を吸収して成長してきたトヨタの歴史と、プリンス自動車などを併合して膨張してきた金融資本としての日産コンツェルンとの体質のちがいがあるようにわたしには思える。
いわば純血種のトヨタの自信と、都会にあって雑多な労働者を統合しなければならない日産の不安との差でもあるようなのだ。日産での暴力行為は、六六年八月の日産のプリンス自工の吸収合併のあと労組を完全に統合することに失敗し、反対派としての全金プリンス支部の独立を許してしまって以来の、伝統ともいうべきものである。このとき、全金プリンスの拠点となった村山工場では、川口工場とまったくおなじような集団つるしあげが続発していた。
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