肥満度が増加するほど高血圧症の頻度は高くなり、BMI(体格指数が三〇を超えると高血圧症の頻度は五倍、心筋梗塞による死亡は七倍以上になると報告されています。正常血圧例でも、BMIが高いほど血圧も高めであることが示されています。日本では欧米のように極端な肥満者は稀ですが、軽度肥満者はたくさんいます。BMIが二五程度であっても高血圧症の頻度は増加し、フラミンガム研究では二〇%肥満者での将来の高血圧症発症は八倍に増加することが示されています。肥満による血圧上昇は体重が一キロ増えるごとに一~一・五ミリメーター水銀程度と言われており、体重を減らすことは、塩分を制限するよりも一般に降圧効果が大きいとされています。
体重をどの程度減らすと血圧がどれくらい下がるかは。減量のスピードによっても成績か異なります。一日四〇〇キロカロリー以下の超低エネルギー摂取では、二週間以内に九割の例で血圧が正常になります。一日八〇〇キロカロリーの食事により六割の例が三週間以内に正常血圧化するという成績もあります。また一日一二〇〇キロカロリーでは減食開始早期の降圧はなく、減塩を併用しないと血圧は下がらないと報告されています。
一日一〇〇〇キロカロリー以下のエネルギー摂取では、減食開始当初に飢餓か原因となって起こる利尿(尿量の増加)があり、それに伴って多くの例で降圧が認められます。減食当初に飢餓利尿による体重減少と降圧があれば、患者にとっては励みになりますが、立ちくらみ、不整脈などの副作用の報告もあります。通常は1000キロカロリー以上の摂取が安全ですが、この場合には減量か徐々であるため脱落者が増えるジレンマがあります。
減量が高血圧症治療となるためには、数ヶ月間減量しても意味がありません。長期にわたって減量療法を続ければ有効なことは間違いないと推測されますが、それを確認した成績は非常に稀です。超低エネルギー摂取により標準体重になった例の追跡では、減量後半年以上たっていても体重が増加したケースでは血圧も上昇すると報告されています。
前述のTOHP試験では。三五~五四歳で一五~六五%肥満があり、最低血圧八〇~八九の約五五〇例を減量指導群と非指導群に分け一八ヶ月間観察しました。指導群では男性四・七キロ、女性一・六キロの減量があり、最高血圧、最低血圧の降圧が認められました。この研究による降圧は軽度ですが、最低血圧か八〇~八九の症例は非常に多く、平均で数ミリメーター水銀降圧することは、相当数の高血圧症発症を抑制できる可能性があります。
2014年5月22日木曜日
総量規制の評価
特に八〇年代後半は政治主導を鮮明にした中曾根内閣の時代であった。国鉄民営化など、政治的英断が発揮されたのはこの時代である。バブルつぶしの時期は海部内閣の時代であるが、当時、与党は小沢幹事長、内閣は橋本蔵相の強いリーダーシップでむしろ従来以上に政治主導の色濃かった時期と言えるように思う。
わが国の政策運営は今後さらに政治主導の政策決定という方向が強まるであろうが、こうした問題について、政治主導が適切な方向に働くかどうかは必ずしも明確ではない。アメリカのグリーンスパン連銀総裁のような中立的で経験を積んだテクノクラートの役割に依存することの多い領域という考え方もあるだろう。
バブルがピークに達し、わが国経済が世界でもてはやされていた頃、マイホームの夢を奪われた国民は、上地を持つ者と持たざる者の不公平を批判し、その声は政治に敏感に反映した。国会や与党の会合では、地価抑制のための一層強力な税制上、金融上の措置を求める声が相次いでいた。各方面からずいぷんと尻を叩かれて、九〇年三月の不動産融資総量規制の導入、九二年一月からの地価税の導入が実現する。今でこそこれらの措置は余り評判が良くないが、当時の評価はそう悪いものではなかった。
世間の印象とは違うかもしれないが、近年における金融行政は、個別部門への資金配分にまで行政が介入することについては消極的である。特に当時は金融界の意気も高く、金融自由化・国際化のムードが高まっていた頃であった。当時はまだ大蔵省の権威は残っていたが、銀行の行動を強権的に規制する措置が素直に受け入れられる雰囲気ではなかった。そのため、先にもふれたように、土地融資についてはすでに八六年から、強権的行政介入を避けつつ、投機的な土地取引につながるような融資の自粛を求める通達を数次にわたり出している。しかしその効き目はあまりなかった。
わが国の政策運営は今後さらに政治主導の政策決定という方向が強まるであろうが、こうした問題について、政治主導が適切な方向に働くかどうかは必ずしも明確ではない。アメリカのグリーンスパン連銀総裁のような中立的で経験を積んだテクノクラートの役割に依存することの多い領域という考え方もあるだろう。
バブルがピークに達し、わが国経済が世界でもてはやされていた頃、マイホームの夢を奪われた国民は、上地を持つ者と持たざる者の不公平を批判し、その声は政治に敏感に反映した。国会や与党の会合では、地価抑制のための一層強力な税制上、金融上の措置を求める声が相次いでいた。各方面からずいぷんと尻を叩かれて、九〇年三月の不動産融資総量規制の導入、九二年一月からの地価税の導入が実現する。今でこそこれらの措置は余り評判が良くないが、当時の評価はそう悪いものではなかった。
世間の印象とは違うかもしれないが、近年における金融行政は、個別部門への資金配分にまで行政が介入することについては消極的である。特に当時は金融界の意気も高く、金融自由化・国際化のムードが高まっていた頃であった。当時はまだ大蔵省の権威は残っていたが、銀行の行動を強権的に規制する措置が素直に受け入れられる雰囲気ではなかった。そのため、先にもふれたように、土地融資についてはすでに八六年から、強権的行政介入を避けつつ、投機的な土地取引につながるような融資の自粛を求める通達を数次にわたり出している。しかしその効き目はあまりなかった。
2014年5月2日金曜日
市民の森
都市づくりのなかで緑をどう確保するかは、重大な問題である。人間は鉄とゴンクリートだけでは生きてゆけない。豊かな緑と、広大なオープンスペースは、都市で人間らしい生活をさせる要件である。欧米では、ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのバイトパーク、パリのブローニュの森などのように、広大な公園中森を都市の中に確保してきた。ドイツの都市は周辺に広大なシュクットヴァルト(都市森)をもち、休日には一日中散歩している市民、がいる。一人あたりの公園面積でも、ストックホルムの、八〇平方メートルは別としても、三〇平方メートルほどはざらにある。ところがわが国の都市では、一人あたり三、四平方メートルにすぎず、ちょうど一桁違っている。東京や横浜では、人口の増加が急激すぎたため、一人あたりの公園面積は、二平方メートルていどにすぎない。
これは、わが国の都市では、地価が異常に高いこと、国の補助金による以外に事業ができない自治体財源の貧しさ、自主性のなさ、そして国の公団緑地への補助金は、道路などに比べてあまりにも小さいこと、などがその理由としてあげられる。横浜市では、定型的な公園建設だけでなく、広い意味の緑やオープスペースの確保につとめてきた。大通公園の設置、緑の軸線、線引きによる調整区域確保、風致地区の拡大指定、宅地開発要綱による公園の義務化、都市長業による農業専川地区の設定、市街地環境設計制度、山手景観風致保全要綱など、さまざまである。さらに、「緑の環境をつくり育てる条例」を制定し、工場緑化や、公共施設の緑化などにつとめ、それなりの効果をあげてきた。
緑の確保問題は、なんといっても土地問題である。もちろん国の抜本的土地政策が必要だが、それまで待っていられない。しかし緑を買収する財政的余裕もない。そこで横浜市は、発想を転換し、市民の協力をえながら、市民との協同によって緑地や森林の確保をはかったのである。それは地主が土地を保有したままで、あるていどまとまった山林を複数の地主と市が協定を結び、市民に解放する。散歩道やベンチなどをつけて、市民が静かな山林の中を散策できる。地主には、固定資産税等、相当額を奨励金として交付している。管理運営も地元主体で、地主や地元市民によって運営委員会を組織し、市からは管理委託料を交付している。
この制度は、市行政側かひとつの筋道をつくったのであるが、市民の協力と、市民団体の手による自主的管理によって成り立っているものであり。市民主体で造り育てた森ということができるだろう。昭和五五年現在で、二五二ヘクタールあり、これは同じ時期の都市公園五三一ヘクタールの七割近い面積を有し、とぼしい横浜市の都市公園の不足を賄っている。このような発想はこれまでのような建設省の指令のもとで、定められた小さな補助金をうけながら公園を設置し、管理していた市の公園部の発想のなかにはなかった。それは法令と予算のなかに閉じこめられていたからである。ところが横浜市は、昭和四六年に。全国でも初めての緑政局を発足させ、緑政局の手で新しい発想が次々に展開したのである。
これは、わが国の都市では、地価が異常に高いこと、国の補助金による以外に事業ができない自治体財源の貧しさ、自主性のなさ、そして国の公団緑地への補助金は、道路などに比べてあまりにも小さいこと、などがその理由としてあげられる。横浜市では、定型的な公園建設だけでなく、広い意味の緑やオープスペースの確保につとめてきた。大通公園の設置、緑の軸線、線引きによる調整区域確保、風致地区の拡大指定、宅地開発要綱による公園の義務化、都市長業による農業専川地区の設定、市街地環境設計制度、山手景観風致保全要綱など、さまざまである。さらに、「緑の環境をつくり育てる条例」を制定し、工場緑化や、公共施設の緑化などにつとめ、それなりの効果をあげてきた。
緑の確保問題は、なんといっても土地問題である。もちろん国の抜本的土地政策が必要だが、それまで待っていられない。しかし緑を買収する財政的余裕もない。そこで横浜市は、発想を転換し、市民の協力をえながら、市民との協同によって緑地や森林の確保をはかったのである。それは地主が土地を保有したままで、あるていどまとまった山林を複数の地主と市が協定を結び、市民に解放する。散歩道やベンチなどをつけて、市民が静かな山林の中を散策できる。地主には、固定資産税等、相当額を奨励金として交付している。管理運営も地元主体で、地主や地元市民によって運営委員会を組織し、市からは管理委託料を交付している。
この制度は、市行政側かひとつの筋道をつくったのであるが、市民の協力と、市民団体の手による自主的管理によって成り立っているものであり。市民主体で造り育てた森ということができるだろう。昭和五五年現在で、二五二ヘクタールあり、これは同じ時期の都市公園五三一ヘクタールの七割近い面積を有し、とぼしい横浜市の都市公園の不足を賄っている。このような発想はこれまでのような建設省の指令のもとで、定められた小さな補助金をうけながら公園を設置し、管理していた市の公園部の発想のなかにはなかった。それは法令と予算のなかに閉じこめられていたからである。ところが横浜市は、昭和四六年に。全国でも初めての緑政局を発足させ、緑政局の手で新しい発想が次々に展開したのである。
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