特に八〇年代後半は政治主導を鮮明にした中曾根内閣の時代であった。国鉄民営化など、政治的英断が発揮されたのはこの時代である。バブルつぶしの時期は海部内閣の時代であるが、当時、与党は小沢幹事長、内閣は橋本蔵相の強いリーダーシップでむしろ従来以上に政治主導の色濃かった時期と言えるように思う。
わが国の政策運営は今後さらに政治主導の政策決定という方向が強まるであろうが、こうした問題について、政治主導が適切な方向に働くかどうかは必ずしも明確ではない。アメリカのグリーンスパン連銀総裁のような中立的で経験を積んだテクノクラートの役割に依存することの多い領域という考え方もあるだろう。
バブルがピークに達し、わが国経済が世界でもてはやされていた頃、マイホームの夢を奪われた国民は、上地を持つ者と持たざる者の不公平を批判し、その声は政治に敏感に反映した。国会や与党の会合では、地価抑制のための一層強力な税制上、金融上の措置を求める声が相次いでいた。各方面からずいぷんと尻を叩かれて、九〇年三月の不動産融資総量規制の導入、九二年一月からの地価税の導入が実現する。今でこそこれらの措置は余り評判が良くないが、当時の評価はそう悪いものではなかった。
世間の印象とは違うかもしれないが、近年における金融行政は、個別部門への資金配分にまで行政が介入することについては消極的である。特に当時は金融界の意気も高く、金融自由化・国際化のムードが高まっていた頃であった。当時はまだ大蔵省の権威は残っていたが、銀行の行動を強権的に規制する措置が素直に受け入れられる雰囲気ではなかった。そのため、先にもふれたように、土地融資についてはすでに八六年から、強権的行政介入を避けつつ、投機的な土地取引につながるような融資の自粛を求める通達を数次にわたり出している。しかしその効き目はあまりなかった。
2014年5月2日金曜日
市民の森
都市づくりのなかで緑をどう確保するかは、重大な問題である。人間は鉄とゴンクリートだけでは生きてゆけない。豊かな緑と、広大なオープンスペースは、都市で人間らしい生活をさせる要件である。欧米では、ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのバイトパーク、パリのブローニュの森などのように、広大な公園中森を都市の中に確保してきた。ドイツの都市は周辺に広大なシュクットヴァルト(都市森)をもち、休日には一日中散歩している市民、がいる。一人あたりの公園面積でも、ストックホルムの、八〇平方メートルは別としても、三〇平方メートルほどはざらにある。ところがわが国の都市では、一人あたり三、四平方メートルにすぎず、ちょうど一桁違っている。東京や横浜では、人口の増加が急激すぎたため、一人あたりの公園面積は、二平方メートルていどにすぎない。
これは、わが国の都市では、地価が異常に高いこと、国の補助金による以外に事業ができない自治体財源の貧しさ、自主性のなさ、そして国の公団緑地への補助金は、道路などに比べてあまりにも小さいこと、などがその理由としてあげられる。横浜市では、定型的な公園建設だけでなく、広い意味の緑やオープスペースの確保につとめてきた。大通公園の設置、緑の軸線、線引きによる調整区域確保、風致地区の拡大指定、宅地開発要綱による公園の義務化、都市長業による農業専川地区の設定、市街地環境設計制度、山手景観風致保全要綱など、さまざまである。さらに、「緑の環境をつくり育てる条例」を制定し、工場緑化や、公共施設の緑化などにつとめ、それなりの効果をあげてきた。
緑の確保問題は、なんといっても土地問題である。もちろん国の抜本的土地政策が必要だが、それまで待っていられない。しかし緑を買収する財政的余裕もない。そこで横浜市は、発想を転換し、市民の協力をえながら、市民との協同によって緑地や森林の確保をはかったのである。それは地主が土地を保有したままで、あるていどまとまった山林を複数の地主と市が協定を結び、市民に解放する。散歩道やベンチなどをつけて、市民が静かな山林の中を散策できる。地主には、固定資産税等、相当額を奨励金として交付している。管理運営も地元主体で、地主や地元市民によって運営委員会を組織し、市からは管理委託料を交付している。
この制度は、市行政側かひとつの筋道をつくったのであるが、市民の協力と、市民団体の手による自主的管理によって成り立っているものであり。市民主体で造り育てた森ということができるだろう。昭和五五年現在で、二五二ヘクタールあり、これは同じ時期の都市公園五三一ヘクタールの七割近い面積を有し、とぼしい横浜市の都市公園の不足を賄っている。このような発想はこれまでのような建設省の指令のもとで、定められた小さな補助金をうけながら公園を設置し、管理していた市の公園部の発想のなかにはなかった。それは法令と予算のなかに閉じこめられていたからである。ところが横浜市は、昭和四六年に。全国でも初めての緑政局を発足させ、緑政局の手で新しい発想が次々に展開したのである。
これは、わが国の都市では、地価が異常に高いこと、国の補助金による以外に事業ができない自治体財源の貧しさ、自主性のなさ、そして国の公団緑地への補助金は、道路などに比べてあまりにも小さいこと、などがその理由としてあげられる。横浜市では、定型的な公園建設だけでなく、広い意味の緑やオープスペースの確保につとめてきた。大通公園の設置、緑の軸線、線引きによる調整区域確保、風致地区の拡大指定、宅地開発要綱による公園の義務化、都市長業による農業専川地区の設定、市街地環境設計制度、山手景観風致保全要綱など、さまざまである。さらに、「緑の環境をつくり育てる条例」を制定し、工場緑化や、公共施設の緑化などにつとめ、それなりの効果をあげてきた。
緑の確保問題は、なんといっても土地問題である。もちろん国の抜本的土地政策が必要だが、それまで待っていられない。しかし緑を買収する財政的余裕もない。そこで横浜市は、発想を転換し、市民の協力をえながら、市民との協同によって緑地や森林の確保をはかったのである。それは地主が土地を保有したままで、あるていどまとまった山林を複数の地主と市が協定を結び、市民に解放する。散歩道やベンチなどをつけて、市民が静かな山林の中を散策できる。地主には、固定資産税等、相当額を奨励金として交付している。管理運営も地元主体で、地主や地元市民によって運営委員会を組織し、市からは管理委託料を交付している。
この制度は、市行政側かひとつの筋道をつくったのであるが、市民の協力と、市民団体の手による自主的管理によって成り立っているものであり。市民主体で造り育てた森ということができるだろう。昭和五五年現在で、二五二ヘクタールあり、これは同じ時期の都市公園五三一ヘクタールの七割近い面積を有し、とぼしい横浜市の都市公園の不足を賄っている。このような発想はこれまでのような建設省の指令のもとで、定められた小さな補助金をうけながら公園を設置し、管理していた市の公園部の発想のなかにはなかった。それは法令と予算のなかに閉じこめられていたからである。ところが横浜市は、昭和四六年に。全国でも初めての緑政局を発足させ、緑政局の手で新しい発想が次々に展開したのである。
2014年4月17日木曜日
あえぐ中産階級
安定を求めるならば、大会社に入れる者は入り、入れない者は、その社会の中で甘んずることなく、更に向上したい、更に高い地位に上ろうとするし、商売センスのある者は事業を起こす。腕に自信のあるものは製造業を起こす。与えられた社会の中の自由でインターネットを楽しみ、ゲームを楽しみ、政府のフィルターのかかったテレビドラマや娯楽番組を楽しむ。少し社会的なセンスを持ち合わせた者は、お仕着せであっても世界のニュースに関心を持つ。外国の放送を直接耳に出来る人は、語学が出来、しかも特定の許可された者に限られる。この与えれた社会で中国の青年たちは人間としての営みを続けていくしか方法はないのだ。ただし、これにも条件がある。即ち最低限の生活? が出来ることである。生活が出来ず、自由主義圏のように不満を合法的に発言する場がないので、その不満は青年たちの体内で少しずつ欲求不満として沈殿していく。たとえ政治的には大きな変化がなくても、経済的には社会はどんどん変る。
現在の中で環境の変化も激しい。貧富の差が拡大しつつある。「あいつにあって、どうして自分にはないのだ?」時代に取り残された青年、変化についてゆけない青年は、犯罪に走ることになる。何処の社会にも存在する青年たちだ。「上に政策あれば、下に対策あり」とは言うものの対策が出来て実行できる人は全体の少数派である。(もっとも少数といっても絶対値は多いが)勢い、この対策とは違法行為をして金を手にすることと同義語となる。この人たちは、もって行き場のない不満を心に抱きながら、私達外国人の目の届かないところで公安に捕まり消えていく。外国人が直接、接触して話が出来る人々はある程度生活力のある人たちに限られてくる。
何とも悲しく切ない青年たちである。この現実を目にすると、気軽に中国の長所をほめたり、欠点をあげっらうことが出来ず、その事実が重い滓となってテレビや書籍で見る日本の現在の青年たちの犯罪と重なって私の心の中に沈んでゆく。どうしても中国の「現在の現実」と「あって欲しい現実」とを比べる余り、暗い話になってしまうが、希望に燃える話がないわけではない。しかし、読者にはもう少し我慢して頂きたい。二〇〇八年のつい半年前までは、中国も高度成長を続け、GDP伸び率も二桁を維持してきた。しかし、後半の半年はサブプライムローンを引き金にアメリカの金融危機が勃発した影響を受け、GDP伸び率が急激に落ちてきて二〇〇八年は最終一ケタ台になると予想されている。
中国では、アメリカの金融危機の世界的影響にも係わらず、世界でも影響が一番少ない国と政府は発表し、結構中国の人はそれを信じていた。中国に関心を持つ政治経済、または中国とかかわりを持つ人は中国のGDP伸び率やその量、一人当たりのGDPに関心を持つ。しかしその数字では本当の庶民の憂いがわからない。もう一つ大事なことは国民の消費に関しての数字にも関心を持たなければならない。日本ではGDPの中の国民消費の割合が五五~六〇%を占め、アメリカでは七〇%を占めていることに対し中国では三五%~四〇%と低い状況にある。これは何を意味するかと言うと二〇〇三年からの二〇〇七年まで五年連続二桁のGDP伸び率であったが、個人を取り出せば二〇〇〇年の個人消費が四八%といわれていることから考えると本当の意味では個人は余り豊かになっていない。
これを人口で割れば一人当たりのGDPに占める割合は日本に比べると、国民全体の占める比率よりも更に小さい数字になる。絶対人口の多さで、三五%~四〇%になっていることが分る。一部の人間の豊かさが全体を押し上げて、一見豊かになっているように見えるだけである。一人当たりのGDPというのは全体を平均化していることであり、中国のように格差が大きい国では、本当の庶民の豊かさの実態を表さない。個人消費の占める割合というのも個人の豊かさを必ずしも表さないが、両方を見ることによりいくらかは判断の基準がもう少し明確になる。二〇〇七年のGDP伸び率が、一一・四五%であり、その中で個人消費、不動産、輸出がそれぞれ四・四%、四・ニ%、二・七%と発表され、初めて個人消費が不動産を上回ったということであるが、裏を返せば、中国の発展は不動産投資、輸出(輸出の半分以上は外資系企業)に支えられてきたということである。
現在の中で環境の変化も激しい。貧富の差が拡大しつつある。「あいつにあって、どうして自分にはないのだ?」時代に取り残された青年、変化についてゆけない青年は、犯罪に走ることになる。何処の社会にも存在する青年たちだ。「上に政策あれば、下に対策あり」とは言うものの対策が出来て実行できる人は全体の少数派である。(もっとも少数といっても絶対値は多いが)勢い、この対策とは違法行為をして金を手にすることと同義語となる。この人たちは、もって行き場のない不満を心に抱きながら、私達外国人の目の届かないところで公安に捕まり消えていく。外国人が直接、接触して話が出来る人々はある程度生活力のある人たちに限られてくる。
何とも悲しく切ない青年たちである。この現実を目にすると、気軽に中国の長所をほめたり、欠点をあげっらうことが出来ず、その事実が重い滓となってテレビや書籍で見る日本の現在の青年たちの犯罪と重なって私の心の中に沈んでゆく。どうしても中国の「現在の現実」と「あって欲しい現実」とを比べる余り、暗い話になってしまうが、希望に燃える話がないわけではない。しかし、読者にはもう少し我慢して頂きたい。二〇〇八年のつい半年前までは、中国も高度成長を続け、GDP伸び率も二桁を維持してきた。しかし、後半の半年はサブプライムローンを引き金にアメリカの金融危機が勃発した影響を受け、GDP伸び率が急激に落ちてきて二〇〇八年は最終一ケタ台になると予想されている。
中国では、アメリカの金融危機の世界的影響にも係わらず、世界でも影響が一番少ない国と政府は発表し、結構中国の人はそれを信じていた。中国に関心を持つ政治経済、または中国とかかわりを持つ人は中国のGDP伸び率やその量、一人当たりのGDPに関心を持つ。しかしその数字では本当の庶民の憂いがわからない。もう一つ大事なことは国民の消費に関しての数字にも関心を持たなければならない。日本ではGDPの中の国民消費の割合が五五~六〇%を占め、アメリカでは七〇%を占めていることに対し中国では三五%~四〇%と低い状況にある。これは何を意味するかと言うと二〇〇三年からの二〇〇七年まで五年連続二桁のGDP伸び率であったが、個人を取り出せば二〇〇〇年の個人消費が四八%といわれていることから考えると本当の意味では個人は余り豊かになっていない。
これを人口で割れば一人当たりのGDPに占める割合は日本に比べると、国民全体の占める比率よりも更に小さい数字になる。絶対人口の多さで、三五%~四〇%になっていることが分る。一部の人間の豊かさが全体を押し上げて、一見豊かになっているように見えるだけである。一人当たりのGDPというのは全体を平均化していることであり、中国のように格差が大きい国では、本当の庶民の豊かさの実態を表さない。個人消費の占める割合というのも個人の豊かさを必ずしも表さないが、両方を見ることによりいくらかは判断の基準がもう少し明確になる。二〇〇七年のGDP伸び率が、一一・四五%であり、その中で個人消費、不動産、輸出がそれぞれ四・四%、四・ニ%、二・七%と発表され、初めて個人消費が不動産を上回ったということであるが、裏を返せば、中国の発展は不動産投資、輸出(輸出の半分以上は外資系企業)に支えられてきたということである。
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